プラチナデーター映画 小説との違いは

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プラチナデーターが、地上波で放送されました。

小説を読んでからすっかり時間が経ってしまっていたので、内容ほぼ忘れてました。

最後が、気に入らなかったのだけはおぼえていたのですが笑

プラチナデーターの映画の、小説との相違点はいろいろあるのですが、

なんといっても、スズラン。

彼女の存在がカットされていることですね。

それと、

プラチナデーターというのは、ある種のキーワード的な要素で、いわゆる

トムクルーズ主演のマイノリティリポートみたいなものだったんですが、

というか、ネタ的にマイノリティリポートと似てるな〜。

映画の場合、国民の全DNAデーターが、プラチナデーターってことになってるし。

なんで、そこ、変える必要あったのかな〜?といった感じです。

原作ちゃんと、読んでる?レベルの意味不明な、変更です。

東野圭吾さんは、映像作品に口をださない。違う作品だからとかいっていた気がしますが、よかったの?こんな、キーポイントまで、変更されて。

結末は

映画の方が好きでした。

なぜなら、

小説のほうは、このDNA管理の落とし穴に、逆らうべく、逃げ回っていたのに、

最終的には巨大な力に屈するんです!

小説だから、非現実的でいいのに、夢がない!

屈しないでよ〜って思いました。

ゴールデンスランバーも、あんなに、ずーっと逃げ回っていたのに、

最後、整形して別の人間になることを選択するんですよ!

巨大な組織の力に一個人が、かなわないことはわかります。

でも、物語の中でくらい夢がみたかった。

解決策をみつけられなかったのでしょうか?

映画は、最後は自分になにかがあれば、マスコミに、もう、リークしたあるからと、脅しをかけて、自分の身を守ってました。

ありがちな方法かもだけど、屈するよりは、よっぽどましでした。

全体的には、役者さんは、なかなかいい方々を揃えていたと思います。

知る人ぞ知る、カクスコの、中村育二さんもでてました。

あーいう役でよく、映画に、でていらっしゃるんですよね。

でも、全体的にはあんまり、面白い作品ではないかな〜。

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